NVCを実践中の話②



NVCを実践中の話①は、こちらより

NVCを生活の中で活かしている
友人のなべちゃん。

気づきと発見をもらえる
永遠と話し込めそうになる
私の友人の一人です。

なべちゃんとNVCの話、
シェアしてもらいました。
みなさんご一読ください⭐️

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NVCは生活のあらゆる場面で
私を助けてくれていて、

体験も含めて
たくさん言いたいことが思い浮かぶ!
今回は子どもに関わる仕事のことから。

看護と保育で人に関わる仕事をしたことがあるのだけど、関わり方として表現される言葉
で当時とにかく耳障りな言葉があった。


「真ん中に」


患者さんを真ん中にした看護、
子どもを真ん中にした保育、
“真ん中”があまりに曖昧で、真ん中じゃないと言われてもどうしたらいいのか分からなか
った。
NVCはかなり明確に
真ん中にする方法を示してくれたと思う。

それは相手の感情とニーズを推測すること。

具体的だからすぐに始められたし、自分がそう関わってもらった時間は真ん中にしてもら
えた感覚も十分にあった。
そして、NVCは相手だけが真ん中であればいいというわけではなく、自分も相手と共に真ん中であるところ、お互いのニーズ(大切にしたいこと)が満たされるところを堂々と目指すところがとっても好き。

私の中で、
それは本質的で、平和で、自由で
そんな世界に生きたいと思っている。

看護や保育、患っている人や幼い子に接するとき、その他でも私は自己犠牲になりやすか
った。優しさやケアの気持ち愛情から接していたものが、自覚できない内に心身の限界を
こえると、被害者的な考えになったり、寂しさや悲しみを通り過ぎて腹が立ったり、暴力
的になる。
そうなると丸太のように患者さんを扱ったり、子どもを力で抑えたこともあった。
パートナーとの関係は散々だった・・・笑

相手を大切にしたいと思ったら、自分を大切にすることが必要なんだと、2019年にNVCを
はじめて体験した時に、頭よりも身体で理解したと思う。
自分をとにかく真ん中に
それは自分の感情とニーズにつながること。

それが少しずつ習慣になり
自責・他責から自由になって
生活できる時間が増えてくると
私はどんどん元気になった。
最近は自分のことが好きだなと
思えることも増えてきた。
若い頃から続いてきた
ヒステリックに泣いたり、怒ったりは
ホルモンのせいじゃなかったし
気づけは全くなくなり、今は蔑ろにされていた私自身の悲鳴だったとすんなり思える。

そして人にも優しく、思いやりを持って
過ごせることがとても嬉しい。
もちろん、怒ったり、悲しんだりは日常的にするけど、それが悪いことではないし、無く
したいものでもない。
ネガティブな感情が怖いものではない。
その先に、私にとって
とにかく大切なことがある。
それを教えてくれたNVCは
ただ今、大切な相棒。
自分が大切にしたいことを握って
やりとりをすることを続ける日々は
NVCに出会う前とは
全く違うコミュニケーションの質。

「主体的かつ調和的」
ここはまだうまく言葉にならないなぁ。

「NVCをはじめて
最初の5年は自己共感だけでいい
まずは湯水のように共感を受けて」
と、学びはじめた頃に
きいた言葉の意味が少し深まった気がする。

共感しあいながら
発見と成長を楽しみながら
過ごしていく仲間が増えたらいいな〜と。

そして私もこれまで共感サポートしてもらったように誰かの力になれたら嬉しいなと思っ
ています!

6月ポストガーデンで♡

なべ
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何かあれば、なべちゃんに相談する。
共感してもらって
「ぬぬは、〇〇を大切にしたかったんだねー」と柔らかい口調で伝えてくれる。

「そうなのー!!!!」と思う時もあれば
「うーん、そうかなぁ…?」と思うことも。

五里霧中の中では気づくことができない
自分の大切にしたいこと。
共感ベースで聴いてもらえる安心感。
聴いてもらった相手から
言葉をもらえるギフト感🎁

感謝の気持ちが溢れる。

NVCは、
「私だけこんな想いをしている!!
辛い、悲しい、もう嫌だ!!腹がたつ」
「私だけがモヤモヤしている」
世界が自分だけが味方のような気持ちになった時、あなたの周りにはあなたの気持ちに共感してくれる仲間がいるんだよーって
はっと気づかせてくれる役割もあると思います。

なべちゃん、寄稿ありがとう。
いつもありがとう!